アマビヱ之図(絵馬)

『アマビエ・街中アート五人展』(企画・主催:鶴岡市商店街連合会・NPO法人公益のふるさと創り鶴岡)のために制作したもの。本作品は、この展覧会の後、12月9日に、羽黒山の出羽三山神社へ奉納された。いずれも、NPO法人公益のふるさと創り鶴岡の事業の一環として実施。
 
[参考:http://wp.me/paKokw-ux
 
 
<作品解説>
 
 本作品は、神社に奉納する”絵馬”として制作した。
 肥後国(現在の熊本県のあたり)に由来を持つとされる妖怪・アマビエの伝説が、水運によって、はるばる遠く鶴岡の山王商店街に伝えられて来た場面を描いている。北前船を模した船が山王日枝神社の方から商店街の通りに入り、神輿のように担がれて練り歩いている。船を先導する市松模様の装束を纏ったウサギたちは、山王町と関わりの深い羽黒山伏をイメージしている。船の上では、肥後国からやって来た御師たちが、「私の姿を書き写した絵を人々に早々にみせよ」という伝承に則り、疫病退散のご利益があるとされるアマビエの図の”写し”を撒いている。船の舳先には、山王日枝神社の神の使いである猿が座っている(山王日枝神社の軒下には猿の彫刻が置かれている)。日枝神社の猿は「魔が”さる”」という意味や、猿の音読みの”えん”から、「縁を運び、商売繁盛のご利益がある」とされている。商店街に入る前に、まず日枝神社で挨拶や神事を行い、それから商店街を門打ちして回っている、という所だろうか。
 ちなみに、船の中央には二股の大根が乗っているが、これは後から加筆したものだ。8月に開催した『アマビエ・街中アート五人展』の終了後、12月9日の『大黒様のお歳夜祭り』の際に日枝神社での展示と出羽三山神社に奉納するということになったため、大黒様のお歳夜に合わせて”まっか大根”を追加した。
 本作品は絵馬として制作したものの、当初は実際に奉納する予定はなかった。が、展示終了後、公益のふるさと創り鶴岡さんの事業の一環として奉納する運びとなり、12月9日に羽黒山の三神合祭殿で奉納奉告祭が斎行された
 
 
<コンセプト>
 
 『アマビエ・街中アート五人展』とは、鶴岡市商店街連合会およびNPO法人公益のふるさと創り鶴岡によって企画された展覧会で、その趣旨は「新型コロナウイルスの影響で恒例の夏祭りなどが軒並み中止される中、プロの画家やデザイナーら5人に疫病退散の御利益があるといわれる妖怪『アマビエ』を描いてもらった看板を、沿道の5カ所に設置し、街のにぎわいを創出する」というものだ。作家ごとに街の各所で設置場所が決まっており、自身は山王町にある山王日枝神社の門前にて、作品を印刷した看板が設置された。
 
 制作にあたり、肥後国(現在の熊本県のあたり)に由来を持つとされる妖怪・アマビエの伝説が、どのようにして鶴岡の山王商店街に伝播しうるだろうか、ということを考えた。疫病退散に関する習俗はここ庄内地方に昔から伝わるものは他にもあるが、そうした地域性を超える存在として、新型コロナウイルスの流行という状況の中で全国的に広まったアマビエというモチーフを用いることは、その土地にはもともと無かったものが伝播し、その土地の風土・文化と混ざり合いながら新しい物語(虚構)が創造されていく、という点で、アートとしての役割が担えるのではないかと考えた。そこで、このアマビエというモチーフを主題とした物語を描くにあたり、展示場所となる山王商店街および山王日枝神社の文化的背景からアプローチを試みた。
  
 山王商店街のあたりは、江戸時代から北前貿易の中継地として栄えた鶴岡の北部に位置する町人町で、鶴岡城の外壕である内川の水運で栄えた商業地であった。商店街の北端に位置する山王日枝神社は山岳修験道の羽黒山と縁が深く、12月になると、大晦日から元旦にかけて羽黒山山頂で行われる松例祭に向け、山伏が山王日枝神社に下宿し、祈願して出立するのが慣例で、山伏のほら貝の音は鶴岡のまちの風物詩となっている。この山王日枝神社の氏子によって組織されているのが山王商店街である[参考:平成25年度 歴史的風致維持向上推進等調査「歴史的価値と現代的価値の双方からの建築物評価 をもとにした地域のあり方共通認識形成の試行等 (山王町家再生協議会)」報告書より]。また、これは推測だが、山王商店街が山王日枝神社の門前町であることから、江戸期以前からそこで開かれていた定期市などが時代を経るにつれ恒常的なものとなって、現在の姿になったのだろう。まさに山王日枝神社があってこその山王商店街といえる。
 
 上記のことから、さらに「交易(北前船)と信仰の関わり」という側面から考察を加える。数年前、新潟・越後妻有で「苧麻」をテーマとした作品制作の際に、戦国期における越後国への伊勢信仰の浸透には、商業的性格を持った伊勢御師が、交易品である青苧の流通に関わっていたことが影響している、ということを教わったことがあった[参考:「戦国期における伊勢信仰の浸透とその背景 -越後国蒲原郡出雲田荘を事例として-」
舩杉力修,1997,地理学評論70巻8号,p.491-511
]。それを参考に、本作品では、北前船の交易にともなって、疫病退散のご利益があるアマビエの信仰が、肥後国の御師によって伝えられてきた、という設定にしている。実際の北前船の航路を確認すると、肥後には北前船の寄港地はないようだが、庄内には「庄内はいや」という、農民達が「土洗い」などと呼ぶ遊びの日に唄ってきた唄があり、これは「九州天草や牛深の酒席の騒ぎ唄『ハイヤ節』が変化したもので、北前船の船人が置き土産していった」という報告があるので[http://www.1134.com/min-you/02/k0601.shtml]、アマビエの伝承が伝わってきたと想像する余地はあるのではないか。
 
 『アマビヱ之図』は以上の要素から構成された虚構だが、制作の過程で意図せず入り込んで来た部分も勿論ある。本当に奉納されたことも想定外であったが、今後、神社という公共の場で多くの人の目に触れることになる(のだろうか?)。アマビエの伝説はこの土地の文化・人々と交わって、その後どのように伝承されていくのか。この先の物語は鑑賞者の想像に委ねたい。


Date: 12/28/2020 | Category: | Name: Nozomi TANAKA / 田中望