遍歴と変容の益子地図 | Nozomi TANAKA 遍歴と変容の益子地図 – Nozomi TANAKA

 

     
遍歴と変容の益子地図

Photo:土祭実行委員会(Hijisai Executive Committee)
2018/9/15-2018/9/30
website http://hijisai.jp

「土祭-hijisai-」は栃木県益子町で2009年に始まったアートプロジェクト。3年おきに開催され、2018年で3回目を迎える。
私は益子地区の旧濱田庄司邸にて、石井 匠さん(藝術考古学)と、井賀 孝さん(写真家)との3人で展示。
 
会場では作品をご覧になる方へのあいさつ文を配布した。(以下)
よそ者である自分にとって、今回の土祭のテーマである「この土地で共に生きる」とはどういうことなのかを考えた時、益子という場所が「異質なものが混ざり合い、命を育んできた土地」であることに手がかりを感じました。そこで今回の展示では、「土地に根付いた暮らしの中にある、土地の外の世界との関わりについて探ることを通して、益子の風土を描く」をコンセプトとし、それを一つの具体的なモチーフから探ってゆくために、自給自足が基本であろう益子で自給できない「塩」を選びました。そして、「かつて益子ではどのような方法で塩を得てきたのか」をテーマとして、フィールドワークを行ってきました。
フィールドワークにおいては、現地を歩くことや聞き取り、資料調査を含みますが、私は歴史学や民俗学などの専門家ではないので、実際にどのように塩を得ていたのかという客観的事実への精度を高めるというよりも、自分自身が塩を追いかける過程で得られたさまざまな出会い(それは直接「塩」には関係ないことも含めて)を、かつて塩を運んできた人々の経験に重ねて感じ取ってみたいという想いがあります。
こうした経験を通じて、今回二つの作品『遍歴と変容の益子地図』を制作しました。
 一つは、縁側に掛けてある布の作品です。こちらは文字と絵で構成していますが、引用の織物のようなものです。塩という視点で益子の風景を改めて眺めてみると、この土地で暮らしてきた人々が開いてきた道であったり、もしかすると出逢っていたのかもしれないよその土地の人たちの姿が、現在の風景の中に透けて見えるように設えました。
もう一つは奥の床の間に掛けてある作品です。この家の主人(あるじ)であった濱田庄司さんも塩を扱った方でした。それは「塩釉焼」という技法で、もともと益子にはなかった西洋の技法ですが、益子の土に合うように試行錯誤を行い、益子ならではの塩釉焼を生み出したと伺っています。この塩釉焼では専用の窯を使いますが、これを「塩窯」というのだと知って驚きました。私にとって「しおがま」といえば、宮城県沿岸部の塩作りで使われる「塩竈」だからです。自分自身の中で、「しおがま」という言葉に異なる意味が共に在る状況が生まれ、この、本当ならば繋がらない異なる世界を繋いでみようと、曼荼羅のようなイメージで描いたものです。手前が「塩竈」で、奥が「塩窯」です。上に乗っているのは、参考館で「山の神」として祀られていた姥様です。

これらの作品を媒介として、「この土地で共に生きる」という言葉の世界観が、ぐっと海の方まで広がっていかないだろうか…、と思ったりしているのですが、いかがでしょうか。

最後になりますが、今回の取材にあたって多くの方のお世話になりました。地域の方をはじめ、地域外の方々、事務局の皆様、一緒に塩を追いかけてくださった阿久津さん、「塩荷坂」のガイドをして下さった赤井さん、本当にありがとうございました。


Date: 06/07/2019 | Category: | Name: Nozomi TANAKA