いのちの交歓・トークイベントに登壇しました | Nozomi TANAKA いのちの交歓・トークイベントに登壇しました – Nozomi TANAKA

いのちの交歓・トークイベントに登壇しました

一度作成した記事が消えてしまいました。残っていた断片的なメモ書きだけ、振り返りの為に掲載します。

『いのちの交換展・トークイベント(2/10)振り返り』

  • キュレーターもプレーヤーになっているのが、面白いのと同時に、キュレーターとしての役割として、この展覧会が一体どのようなものだったのかを言語化し、相対化していく必要があるのかもしれない。
  • 展覧会としての位置付け アートとしてアーカイブされるのか?
  • 岡本太郎を含めた作家・アーティストとしての立場 “縄文”や民俗学など、他者性に回収されてしまうのではないか?だからこそ、この展覧会がどのようなものだったのかを批評する言葉が必要。
  • コンセプトは、人間中心主義の反転ということだそうだけど、この↓ピラミットが逆さまになるだけだと、それは「転倒した人間中心主義」ということなのではないか?これについて無批判に受け入れてしまうと、過去の?宗教や、”縄文”にこそ学ぶべき精神性があるといった思想に、芸術(アート)が与することになるような、ちょっと危うい状況にもなりかねないのでは…?という疑問がある。

いのちの交歓展 鑑賞の補助線① コンセプトは「人間中心主義の反転」。 言いたいことは、いたってシンプルです。 今の私たちの価値観を、ひっくり返してみたら・・・? ひっくり返すだけで、 見える世界が変わります。いのちとは何かを考え、想像し、感じてもらいたい。そういう展覧会です。 pic.twitter.com/9uVBq6lryO — 國學院大學博物館 (@Kokugakuin_Muse) 2018年2月5日

  • 試みとしては、「領域の分断(芸術=学問=宗教の未分化な状態)」をもう一度繋ぐということがあるが(石井さんのいう古くて新しい技術)、それが、過去への立ちもどりで終わってしまう可能性もある。その意識には現代的な問題意識が込められている(であろう)にも関わらず、“過去にこそ大事なものがあった”ということで終わってしまう危うさも抱えているのかもしれない。
  • 藤原さんがいう、過去の遺物(博物資料)や岡本太郎の作品と並んだ時に、やはりそれは過去のものとはちがう物質感?をもっていて、馴染みきれない何かがあった。出品している作家たちが、そのようなも物になることに対する抵抗を示していた(私自身を含め)。

 

こんな感じで、いろいろと思うことがあり、この展覧会に参加できたのは本当に嬉しいことでした。参加作家の藤原さん、トークの際に来られていた宮原さんからも、いろいろな気づきを頂き感謝申し上げます。
複合領域としての芸術をもっと探索していきたい。


Date: 02/10/2018 | Category: 展示 | Name: Nozomi TANAKA