【感想】やまもと民話の会 発足20周年のつどい | Nozomi TANAKA 【感想】やまもと民話の会 発足20周年のつどい – Nozomi TANAKA

【感想】やまもと民話の会 発足20周年のつどい

3月24日・25日、2日間にわたる「やまもと民話の会 発足20周年のつどい -大震災をのりこえ、民話を語りつぐこと-」に参加させて頂いた。

「やまもと民話の会」は、宮城県山元町で、地元の民話を語り継ぐ活動を20年にわたって続けてきたサークルだ。
2011年3月11日の震災では、山元町にも巨大津波が襲った。会の代表を勤める庄司アイさんとそのメンバーの皆さんは、自らも津波に流された被災者でありながら、避難先の体育館でいち早く聞き書きを始めた。その当時アイさんの手元にあった道具は、広告の裏紙、鉛筆、菜切包丁のみだった。被災した方のお話を聞き、目の前で書き留めるのがしのびなかったので、帰ってきてから広告の裏紙に書き記録した。鉛筆の先が丸くなったら菜切包丁で削った。そして、震災の年の8月、証言集『巨大津波』を発行。それから2012年4月までに、第二集、第三集を続けて発行した。

初日の24日は、『巨大津波』に証言を寄せて下さった地元の方ご自身による朗読が行われた。
証言集の語りということだけあって、そこには物語にあるような曖昧さや、表現の柔らかさというのはない。鬼気迫る体験が、誇張することもなく、「そのまま」語られているような印象があった。物質や身体の重さ、ブロック塀や建物の硬さ、水に濡れた布の冷たさ、庭から家の2階に駆け上がるまでの距離、おばあちゃんが必死で走るときの遅さ、お隣さんの声が遠のく感じ・・・。語りによって、記録されたテキストに「手触り」が生まれるようだった。

2日目には、みやぎ民話の会の小野和子さんや、東京学芸大の石井正己教授、そして山元民話の会の庄司アイさんらが登壇してのフォーラムが行われた。「あの日から、これまでの私」をテーマに、震災当時のことから、その後の動き、そして、そうした出来事を通して改めて「民話」について考えたことなど、それぞれの「あの日から」についてお話頂いた。このフォーラムの最後に話題となったのが「子どもたちの未来」に関することで、そのことは、初日の始まりにアイさんが述べた、「民話は命を生み、命を育むもの」という精神が、この2日間のつどいに一貫していたと感じられるものだった。大津波から7年が経った。津波を知らない子どもたちが小学校へ上がってくる。それと同時に、あの経験が今なおトラウマになり、津波の映像を見ると気分が悪くなったり、気絶までしてしまう子がいる。そうした子どもたちが、同じ空間にいるという状況がこれから生まれてくる。「忘れない」と言うのは容易いが、それをどのように伝えて行けばよいのかは、これからの我々の課題であると同時に、子どもは大人が思っている以上に「強い」もので、きちんとした言葉で伝えれば彼らなりに受け止めて成長していくのだから、案じずぎることもないのではないか、というあたりで終了時間となった。

この二日間のつどいに参加し、初日の当時のお話では、その瞬発力とエネルギーが、本当にすごい事だなと、途方もない気持ちになってしまった。民話をしてきた方の本当にすごいなと思う事は(いろいろあるけれど)、この緊急時に、それまで行ってきた「しっかり聞く」ことと「話し手が話したように記録をする」という事を即座に行ったという事で、この記録は必ずいろいろな形で生かされていくのだと思う。私などは、沿岸部の方を訪れても、そこまで踏み込んで「聞かせてください」という事が出来ない。話をきちんと受け止められる身体になっていないのが自分で分かるので、相手の懐に飛び込めない。ことに震災後は「聞く力」が試される場面が増えたように思う。

初めて訪れた山元町は、ほんとうにずっと真っ平らな地面が広がる。もともとは田んぼだったところに、震災後、新しい町がつくられたのだと伺った。真新しい駅、どれも新築の似通った家々が並ぶ風景。駅前にひとつ大きめのスーパーがあるので、地域の方々はみんなここで買い物をするんだろうなと想像する。少しだけ周辺を歩いてみるけれど、すべてが新しい。こういう場所に立った時、どうやったらこの土地の地層や、営みの歴史を感じることができるのだろうと想像する。「民話が残った」というアイさんの言葉の切実さに、少しでも触れられたような気がした。


Date: 03/27/2018 | Category: イベント|メモ|地域 | Name: Nozomi TANAKA