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鹽竈神社へ登る最も古い道、七曲り坂。西町の「四方跡公園(よもせきこうえん)」にその登り口がある。 ![]() 四方跡公園内には、「影向石(ようごうせき)」と呼ばれる石があったとされる。「影向とは『神仏が一時姿を現すこと』(『広辞苑』)」。『新訳 奥鹽地名集』(p83)によれば、この「猿田彦大神」の石碑の前に置かれている石がそれではないかというものの、伝承では「今は土中にまいぼつして見えず。」と記述があることも紹介しており、確証に欠けるとのこと。地元の伝承では、平らで光沢がある鏡のような石で、これに自らの顔を映し、その映り具合で吉凶をうらなったのだという。 ところで塩土老翁神と猿田彦大神はどういう関係があるのだろう?どちらも水先案内人という役割では似た所があるのかもしれないけれど、不勉強でよくわからない…。(あとでネットで調べたら、同じような疑問を持っていた人が少なからずいて、それによれば『鹽竈社縁起』にその手がかりが書かれているとのこと。いわく、「鹽竈明神とは、塩土老翁、猿田彦命、事勝国勝命、岐神、興玉命、太田命の同体異名の6座であるとのこと。あまり私がここを掘り下げても頭と実感が追いつかないので、ひとまず保留としておく…) 前置きが長くなってしまったが、いよいよ坂へ。 ![]() ![]() 登り始めて一つ目の角を曲がると湧水スポットがある。参詣者からは「金花水(きんかすい)」と呼ばれていたそうだが、今は使われていない。 ![]() この辺は空気がしっとりしていて、大きな蚊がいるので注意…。 ![]() ![]() 写真では伝わらないけどとても大きな木。 ![]() 塩土老翁神が通ったという坂を登りきって、山頂?へ到着。 昔の人もこの岬から湾に浮かぶ小さな島々を眺めて、国が生まれる姿を想像したりしたのだろうか。こういう所で一句読む才能があればいいのに…と思う。 ![]() この見晴らしが良い場所に、神仏混淆の時代は境内にあったという鐘楼堂がある。鹽竈のことを調べると、明治維新の廃仏毀釈によって失われたとされるものがやたら目につくような気がするけれど、庶民の生活にとってそれがどんな影響を与えたものだったのかが、自分の中でいまいち見えていない。鹽竈神社というものの性格は、それ以前と以降では変わったりしたのだろうか?そういうことから考えを巡らせいると、鹽竈という場所において、死者はどこへ行くものと考えられていたのだろうか?
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