鹽竈取材(西町、秡川) | Nozomi TANAKA 鹽竈取材(西町、秡川) – Nozomi TANAKA

鹽竈取材(西町、秡川)

塩作り工房を後にし、及川さんの話を思い出しながら鹽竈の町なかを歩きまわった。
正直、鹽竈を訪れた当初はどこを見たらいいのか分からず、とりあえず鹽竈神社と御釜神社を見るだけだったのだが、お話を聞いてから改めて歩いてみると、少しずつ鹽竈が見えてくるような気がした。

まずは、かつて秡川が流れていたというメインストリートを、港側から丘側へ歩いてみることにした。
西町の県道3号線と愛宕神社下の細い道路が交差するあたりで、先日来た時は見落としていたが、暗渠が途切れて川が少しだけ見えている箇所があった。
 

  
後で聞きいてみたが、これは秡川の本流ではなく支流ではなかったかとのこと。
秡川が暗渠になったのは平成17年(2005)の県道改修工事による。つい13年前までは川が流れる風景があった。『新訳 奥鹽地名集』によれば、「秡川の名は、鹽竈神社七月例祭の流鏑馬射手衆の神官たちが、尾島で潮垢離した後、この川でお祓いしたことに由来するという」。
 
「秡川」と聞くと、山形に住んでいた頃の経験から羽黒山の秡川のことを思い出してしまう。これは山に入る前に身を清める重要な川だが、鹽竈神社の前の祓川も、例祭の時などにお祓いをする場となっていたのなら、かなり重要な川だったのではないかと感じるのだが、暗渠にしてしまって問題なかったのだろうか…と気になった。秡川のことは、後日改めて聞いてみたいと思う。
 
 
この付近、愛宕神社下に水神碑が建っていた。
 

 

 
読めない…。『新訳 奥鹽地名集』に解説が載っていた。「『柄尻清水わき(湧き)出し候。鹽竈は往古より水不足に候處、弘法大師しやくぜう(錫杖)の柄にて御つき(突き)なされ候えば、水わき出候よし申し伝え候。日照にもわき候事同じ様に候事』とあり、江尻清水にまつわる弘法大師の伝説が記されている」(p94)。

 
水神碑の脇からまっすぐ伸びる細道を、鹽竈神社方面へ進んでみる。
 
 

 

 

 

かつては川が流れていたのだろうと思われる所。暗渠になり、民家の裏庭のようになっていた。もう使われないであろう小さな石橋は、トマソンとなりひっそり生きている。
 

細道の終わりは、鹽竈神社の表坂の向かいに出る。石碑によると、ここにはかつて「秡戸社(はらえどのやしろ)」があったそうだ。
今は小さな祠と、石碑が二つ。片方は読めなかったけど、もう片方には湯殿山と書いてある。
さっきの「江尻清水」の石碑からおよそ200mくらいだが、南側の崖が水に濡れていて、いまでも少しずつ水が染み出しているようだった。

 

 
 
 


Date: 06/18/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA