塩竈取材(岬の稲荷神社②払ヶ崎稲荷神社) | Nozomi TANAKA 塩竈取材(岬の稲荷神社②払ヶ崎稲荷神社) – Nozomi TANAKA

 

     
塩竈取材(岬の稲荷神社②払ヶ崎稲荷神社)

岬の稲荷神社①小室ヶ崎稲荷神社の続きです。

2.払ヶ崎稲荷神社
 

 
国道45号線に面したホテルグランドパレス塩竈とコロラド(喫茶店)の間に、神社への入り口がある。
 

 

 
 
 

 

 
この時の時刻はだいたい18時半。ちょうど夏至にあたる日だったので、ようやく日が暮れ出し、うっすら月が見えている。
入り口には神社の由来が書かれているであろう看板があるのだが、錆びていて読めない…。
 
 
「祓ヶ崎」という名前は、『新訳 奥鹽地名集』(p114)には、塩竈八崎の一つとしてあげられている。神社の前にあるような「祓川」を想起させるので、きっと鹽竈神社との関係で付けられた名前なのだろう。

「文化の港 シオーモ」(http://shiomo.jp/archives/2883)では、次の通り紹介されている。
 
祓ヶ崎稲荷神社(はらいがさきいなりじんじゃ)
創祀年月は不明ですが、 古くは祓崎の地 (現稲荷下松竹ビル付近) に有り、 伊達藩鹽竈神社参拝の折はこの地において祓い清めた後参拝されたことなどから、 鹽竈神社の祓所としての役割を担っていました。 そのことからこの地を祓崎と言い社号にもなっています。 現社殿は文政3年 (1820年) 7月再建し、 京都の伏見稲荷大社より霊璽を奉遷して正式に稲荷神社となりました。 しかしながら、 明治以降の鉄道建設、 築港などにより3回の御還座と御社殿の移転を余儀なくされ、 平成元年11月に現在の御社殿を改築し竣工しました。
祓崎稲荷神社は、 海岸通・尾島町・港町・中の島各地域の氏神様として、 猿田彦大神・倉稲大神・大宮比賣 (姫) 大神の三神をお祀りしています。
(HPより引用)
 
(追記:後日、尾島町の方に教えて頂いたのだが、この祓ヶ崎稲荷神社の猿田彦大神が、7/16の塩竈祭りでお神輿を先導していた猿田彦だったらしい。この、祓ヶ崎稲荷神社の宮司さんが務める猿田彦は、周辺の神社のお祭りの時などにも出張されていると伺った。お祭りシーズンは大忙しですね。)
 
  
 

 



 


 
 
境内に到着。ここにも湯殿山の石碑が。
社殿はまだ新しく感じる。それもそのはず、庄子洋子先生の『塩竈のむかしばなし』(p17-18)によれば、この社殿は平成元年に建てられたものらしい。先にも書いたように、もともとは「祓崎の地 (現稲荷下松竹ビル付近) に有り」、その後、明治の鉄道建設により移転、それから平成になって現在の場所へと、三回に渡って社殿が移されている。こうした移転は、尾島町、築港の開発によるものだなのだそうだ。さらに、現在の港町、中の島、尾島町が埋め立て造成されたのは大正2年から昭和10年にかけて。それから、尾島町の一部と、花立町、新富町が、大正10年から昭和16年に埋め立てられ、現在の街並みが完成したのだという。
 
 

 

 


 


 
境内を進むと小さなお社があり、ここは狐だらけ。大小さまざまな白狐たち。心願成就を願って奉納していったのだろうか。稲荷の神の使いである白狐と、一方でいたずらをして人間と敵対するキツネ。一体何が違うのだろう。
 
 

だいぶ日が落ちてきた境内から、一ノ森がある方向を眺める。
 
 

 
神社を後にし、南側の細道から山を下る。塩竈はこんな感じの、歩きがいがある細道が多くて飽きない。
 
 

 
坂道を下ると尾島町の飲み屋街に出た。この辺りは、もともとは湿地帯だったそうだ。明治以降の築港にともない埋め立てられ、色街となっていったそうだが、それはまた別の回で書くことにする。
 
 


Date: 06/23/2018 | Category: フィールドノート|塩竈 | Name: Nozomi TANAKA