鹽竈取材(塩作りの工房へ②) | Nozomi TANAKA 鹽竈取材(塩作りの工房へ②) – Nozomi TANAKA

鹽竈取材(塩作りの工房へ②)

6/26 (火) 晴れ のち 曇り
 
塩作りの及川さんのもとへ2回目の訪問。
先日は見れなかった、大きな釜を焚いている現場を見せて頂いた。

 
 
 
 
月曜日から火入れをしていて、トータルで15時間ほど焚くそうだ。私が見に言ったときは、おじさんが網で灰汁をすくい続けていた。見ているだけでも湯気と熱気で肌がべたつくが、窯焚きの現場を体感できるうれしさのせいなのか、不快な感じは全くなかった。
もうもうと上がる湯気を見て、「湯焚き神事」を思い出したりした。湯気の向こうに見える人影はなんだかあやしげな感じがするし、ゆらめきながら天に昇っていく湯気そのものに、昔の人は何か神聖なものを見たのかなぁと想像したりもした。
 
 

 
 
塩竈浦で、潮を焚く煙が立ち上る風景は、古代から多くの和歌に詠まれてきた。
 
“たちのほるけふりや空に霞むらんみとりもふかき塩かまのうら   範宗朝臣”
“みわたせばたくもの煙立ちわかれかすめる方やしほがまの浦    藤原康光”
 
「実際に塩竈に来て、塩作りの煙を見て詠んだのかはわからないんだよ」とのこと。そもそも「塩づくり」は、塩竈浦だけでずっと行われてきたものなのではなく、塩竈〜松島の浜沿いで、その時代の状況に応じて、場所や製法が移り変わって来たのだそうだ。
時代が下ると、海水(潮)を直接煮詰める塩作りではなく、浜を利用した「塩田」が行われるようになってくる。塩竈は平らな土地がなかったので、塩作りの中心は松島に移ったのではないか、とのこと。(この辺りの歴史は、奥松島縄文村資料館の菅原館長に頂いた資料などで確認しておきたい。)
ただ、塩竈浦の情景がこれほど多く詠ぜられたことからは、都人にとっては「未知の国」としての塩竈への憧れがあったのだろうということが分かる。あるいはまた、当時は、実際の塩竈の風景から感じ取ったことを詠うということは目的とされていなくて、むしろ、その時代の都人に共有されていた「塩竈の浦」という象徴的なイメージを使ってみずからの心情を表す、ということに重きが置かれていたのかもしれない。
 
 
及川さんが湯気をさして「サウナにしたらいいと思うんだが」とか、釜を指して「入ってもいいよ」というので、そういえば鹽竈には温泉ってないんだろうか?と気になった。
聞くと、温泉はないが、昔は銭湯がたくさんあったのだそうだ。昔は風呂のない家庭も珍しくなかったことや、船乗りたちが利用していたのだが、いまではすっかりなくなってしまった。少し昔まで、銭湯の煙突があちこちに立っている風景があったのかもしれない。
(その後調べたところ、現在は「えびす湯」という銭湯が一軒だけ営業していることが分かった。近々行ってみたい。)
 
 

 

 
窯のそばに白い塊が捨てられている。これも灰汁と同じく塩を作る過程で出てくる成分で、カルシウムの固まりなのだそうだ。
硬そうに見えるが、手に取って練ると液状化した。

 
 
こちらは「にがり」。はじめて舐めた…。


 
にがりの底に溜まっている「にがり塩」。水晶のような大きな塊が見える。捨てるそうなので頂いた。
 
出来上がった塩に触れるだけでは、その塩ができるまでに一体どんな風景やものがあるのかが空白になってしまうけれど、ましてやそこに空白があることすら知らずに過ごせてしまうけれど、こうやって現場を見せてもらうと、今まで見えなかった物のつながりや風景が見えてくるような気がして、少し気持ちが豊かになる気がする。しかし、見せてもらって満足しているだけではいけない……。
 
「塩はすべての動物が必要とするものだ」と及川さんは言う。塩は、調味料や保存料のように補助的な使い方がほとんどで決して主役にはならないけれど、塩がなければ生き物は体の機能を維持することができない。なんとなく、塩は、牛とか狼とか人間とか、そういった種の境界を超えて、等しく「いきもの」としての繋がりを再確認させてくれる存在なのかもしれない。
今度は塩作りの作業をやってみたい。
 
 
最後に、先日からのお話を聞かせて頂いたことは今回の7/7からの展示の新作にはならないけれど、今後の制作の糧にしていきたいということと、この取材を含めた4月からのフィールドワークの記録を自身がこの場で体験したことの報告として日記のような形で展示したいと、及川さんに相談した。不安な心持ちで聞いて見たけれど、「ああ、やりなさい。」と言ってもらい、背中を押された気がした。そのぶん、責任をもってしっかりまとめなければ…。
 
 


Date: 06/27/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA