益子取材(西明寺) | Nozomi TANAKA 益子取材(西明寺) – Nozomi TANAKA

益子取材(西明寺)

7/22-24、益子取材その1。
22日の夜9時すぎに益子の滞在宿「民宿とき」に着く。素早く動く黒い魔物と格闘した後、就寝。
 
翌23日は朝10時に民宿を出発。この日の目的地は西明寺、高館山、綱神社。そして上大羽で「塩荷坂」の情報を得ること。
「塩荷坂」の記述を見つけたのは『益子の文化財』(発行=下野新聞社)のp48-51、「大羽から笠間へのルート」のうちの、「谷沿いのルート」の箇所だ。
益子の場所性を探る過程で、「内陸部の益子の人々はどのように塩を得ていたのか?」ということが気になり、5月下旬から当地域の「塩の道」のことを少しづつ調べていた。
ネットで「茨城 栃木 塩 道」などで検索すると、「金山峠」や「境松峠」といった、かつての道の名が出てくる。
 
(参考にさせて頂いたリンク↓)
http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/data/doc/1393321728_doc_1_6.pdf
http://wasura.blog86.fc2.com/blog-entry-1102.html
http://www.geocities.jp/saitamatouge2/touhoku/20170131/170131.html

上記の参考リンクなどによれば、このうち金山峠は、栃木県道51号水戸茂木線の前身となる、茨城と茂木を結ぶ主要な街道だったらしいが、現在・明治以降・江戸期など、時代ごとでルートに違いがある模様。
現在、茂木高校正面にある御嶽神社に祀られている「塩地蔵」は、この塩街道が茂木宿へ入る「仲の内地内」に置かれていたものらしい。 
では、茂木から益子へはどのようなルートで塩が運ばれたのか?と探していたところ見つけたのが「塩荷坂」だった。
 
 

東京では最高気温41℃を記録する猛暑日。益子も日差しが強く、暑い。民宿の自転車(普通のママチャリ・電動アシストなし)を借り、最初の目的地である西明寺へ向かう。
 
 

 
民宿の周りは、田んぼとなだらかな山に囲まれている。民宿を管理している田中さんに西明寺への行き方を訪ねると、正面のあの山が高館山だと教えてもらった。
 
 

 
民宿の近くにある祠。何をお祀りしているのだろう?
 
 
県道262号線を南東に進む。道路脇の水路が気になり、眺めながら漕いでいると、何かが跳ねる音がする。足を止めて水路を覗き込むと、大小とりどりの影が水のなかで騒ぎ立てている。
 


 

 
 
こういう時、すぐさま何の魚なのか分かったら楽しいのに…。
↓『土祭 2015基礎資料 02 西明寺 (さいみょうじ) 地区』(作成=簑田理香さん、廣瀬俊介先生、土祭事務局)
http://hijisai.jp/-pdf/fudo2/fudo2.pdf
には、西明寺地区の水路や川の生物に関して記載がある。


 

「ネコダマ」のある風景も確認できました。
 
 


 
 
寄り道をしながら程なく西明寺の入り口に着く。ここにも小さな水路が。
こうした小さな水路の水から集まる水が、下流の百目鬼川を成しているらしい。
 

  
西明寺に至る坂道の途中、斜面が崩れて岩が露出している。こういう時地質などを見る目があれば楽しいのに…。
 
 
 
 
あとでかい岩。巨人か何かが置いたのかもしれない。
 
 
境内に入ります。

 

 
 
西明寺(さいみょうじ)
「西明寺は独鈷山普門院と称し、真義真言宗豊山派に属する。法伝によると天平九年(732年)行基菩薩の草創、紀有磨呂により建立されて天平十一年(739年)、落成供養が行われたと伝えられている。 当地は庚平年間に紀正隆が居住し(益子氏の祖)天仁三年(1110年)紀行宗は時の西明寺住職、泉信和尚に帰依し高館に居を構え高館城と称した。永久年間頃より益子氏を名のり以降寺院を庇護して居り、その興亡は西明寺と運命をともにしていたのである。」(『益子の文化財』p115)
 
 
坂東20番札所・西明寺
「益子町の郊外に位置する獨鈷山(とっこさん)。西明寺はその南斜面の中腹にあります。 正式名称は「獨鈷山普門院西明寺」。真言宗豊山派に属し、本尊は十一面観音菩薩。坂東巡礼第20番、下野第13番の札所でもあります。
益子という氏は「土佐日記」で知られる紀貫之の後代、紀一族が益子に移り住み、西明寺の地「権現平」に紀貫之を祀ったことから始まりました。その紀貫之夫妻の像は現在、西明寺本堂の奥に安置されております。」(西明寺ホームページ http://fumon.jp/about/より)

中世に当地域を治めた益子氏。「益子」という地域が形作られていくことを考える上では、ここは重要な場所なのかもしれない。西明寺が建立される以前はどのような場所だったのかも気になるところ。さらに、この西明寺のある独鈷山(高館山)は稀有な植生の山らしい。
 
ブナやシイの木が自生する獨鈷山(高舘山)
「益子は気候的に温暖な地域と寒冷な地域との境目にあると言われ、その特徴が植物にも現れています。獨鋸山にも、暖温帯性植物シイの木と、冷温帯樹木の代表であるブナが自生・共存しています。そして、この山は植物だけでなく昆虫や、野鳥についても興味深い観察ができます。本堂から権現平、高舘山の山頂につづく道は、ハイキングコースとしても楽しめます。
また寺の敷地内にも、天然記念物のコウヤマキやシイの大木が茂り、幹が四方形のめづらしい「四角竹」が群生しています。」(西明寺ホームページ http://fumon.jp/about/より)
 
南と北の植生が混在しており、「異なるものが出会う場所」という意味でも、益子にとっては象徴的な場所なんじゃないか、と思うのですが…。
 

 

 

 

 
 
境内に入ってすぐのところに並ぶ石仏や意味深な木。
 

 

楼門


 

楼門(部分)


 

仁王像


 

三重塔


鐘楼

本堂


 
 
本堂の外廊下にお爺さんとお婆さんの木彫が置いてある。あとで調べたらおびんずる様らしい。真っ赤な座禅を組んでいるものしか知らなかったので、老夫婦のおびんずる様は初めて見た。よくあるものなのだろうか?あとお爺さんとお婆さんで造形のクオリティが違いすぎないか…。
 

 



 
よく見ると所々に赤い塗装がのこっている。もともとは赤く塗られていたのかも。
 
 


 
 
拝観料を払って本堂の中も堪能しました。
 
 
それから本堂の右手下には閻魔堂があるのだが、この中の彫刻も大胆でおもしろかった。
 
 

\ッジャーーーン‼︎/ という感じ

 
 
格子戸から覗き込んで撮ったのでこれが限界だったのだが、左手奥に奪衣婆もいて、ネットではいろいろ上がっているのだけども見れなくて残念だった…。
 
 
この本堂の裏から峠道に入れるようになっている。どこに繋がっているのか受付の方に尋ねると、前回宿泊したフォレスト益子まで通じているらしい。北へ向かっておよそ3時間の道のり。今日は猛暑で命に関わりそうなのでやめておこう。
 
唐様式が濃厚で、異国の風を感じた西明寺を後にして、高館山城跡へ出発する。九十九折りの県道262号線を、自転車を押しながら進む。
 


Date: 07/22/2018 | Category: フィールドノート|益子 | Name: Nozomi TANAKA