仙台のなにもなさを歩く(3)移動された神さま・仏さま | Nozomi TANAKA 仙台のなにもなさを歩く(3)移動された神さま・仏さま – Nozomi TANAKA

 

     
仙台のなにもなさを歩く(3)移動された神さま・仏さま

緑ヶ丘団地から丘陵を南側へ下ると砂押町に至る。犬の散歩などでよく歩いた道だが、ここに石造りの鳥居があることは以前から気になっていた。砂押会館という地域の公民館の敷地内に、その「深山神社」はある。境内には石灯籠があり、お社の外見はそれほど古くない。私が訪れたときには、ちいさなお社の中に、まだ新しそうなお札が置かれていた。この時には見落としてしまっていたが、『仙台の石仏散歩 散策のガイドと石仏入門』(著・木村孝文)によれば、境内には馬頭観世音(天保十五年・1844と、馬櫪神(大正三年・1914)の石仏があるらしい。住宅に囲まれたなかで、どうしてこの場所に神社が建てられたのか、いつからあるのか気になっていたが、この神社の意味を改めて考えてみると、団地になる以前のこの一帯の風景が見えてくるような気がする。



教えて頂いた話によると、現在、動物公園やベニーランドがある八木山は、かつては「越路山」と呼ばれていた。深山神社があるのは、この越路山丘陵の南側の麓にあたる。現在の緑ヶ丘のバス通りの一部が、じつは越路山に至る藩政時代からの尾根道(長岫尾根)であったのだという。団地造成でその地形は大きく作り変えられてはいるが、道路には、かつて使われた道が一部引き継がれているそうだ。さて、この越路山は、隣接する青葉山同様、藩政時代は「御城林」としてその立ち入りや利用が厳しく制限されていた。そのため、現在深山神社がある付近も、藩政時代は人が住まない土地であった。目の前には木流し堀が流れ、さらに、この場所は越路〜鈎取にかけて築かれた杉土手のライン上に位置する。先ほど参照した本(『仙台の石仏散歩』)のなかでも、この神社に
ついての由緒は不詳となっていたが、鹿野八幡神社の例から考えれば、この深山神社も、仙台城へと至る尾根道を管理する目的で置かれたものであると考え
られるそうだ。今のように住宅が立ち並ぶ以前なら、斜面から南側の低地がよく見渡せたのかもしれない。
 

 

▲ 住宅地に残る杉土手(撮影 2018/8/4)

 
 

ところで、この深山神社は、現在はお社があるのみで、その御神体は太白区郡山の諏訪神社に遷座されている。合祀されたのは明治四十五年(1912)となっている。その経緯はまだ伺えていないので詳しくは知らないが、この合祀が行われた時期には、明治末期に内務省神社局の主導で行われた「神社合祀政策」があり、その動きと関係があるのかもしれない。

『仙台市史 通史編6 近代1』には以下のような記述がある。

1906年(明治39)に宮城県が行なった調査によると、神社数は県内2637、当時の仙台市内48で、その内訳は県社2・郷社2・村社6・無格社38である。神官の不足や財政難から、村社などの有格社でも維持が難しいものが多いと報告されている。〔中略〕これを受けて、宮城県は大規模な神社統廃合を進め、1906年に県内で2600以上あった神社は、1913年(大正2)には半分ほどの1379社になっている。(同上・頁385)

この明治末期の神社統合政策は、深山神社が合祀された時期と重なっている。
さらに興味深いことに、このように他の神社と合祀された神社は、合祀後もその地に社殿は残り、境内に集会所が設けられるなどし、今でも地域の進行を集めている例が数多く見られるのだという(同上・頁386)。

この深山神社は、一見すると、それほど古さもなく見落としてしまいそうな場所だが、改めて知ると、大きな歴史のうねりのなかで、この地に生きた人々の意思に触れられるような場所なのかもしれないと思えてきた。


Date: 09/03/2018 | Category: フィールドノート|仙台|地域 | Name: Nozomi TANAKA