京都・崇仁地区のドキュメントをつくるWS:第一回目 | Nozomi TANAKA 京都・崇仁地区のドキュメントをつくるWS:第一回目 – Nozomi TANAKA

 

     
京都・崇仁地区のドキュメントをつくるWS:第一回目

京都市立芸術大学が主催する「状況のアーキテクチャー」というプログラムのなかの、テーマ:《社会》に参加している。
先日9月25日が第一回目の集まりで、崇仁地区のフィールドワークとディスカッションを行った。
 
町を歩いてみると、解体・建築工事よって、めまぐるしく町の形が変わっているという状況が見て取れる。他所の土地の者である私にとって、断片的となった街の風景からは、外見上の変化以上の”何か”を得ることはなかなか難しく、ましてや、その土地に関する知識もほとんどない中では、記録する対象を定めていく拠り所がなく、目の前をただただ情報が流れていくというような状況だった。
この、変化の渦中にある崇仁の街を歩きながら、私は過去の経験ー-変化の渦中にいるときにはその全貌を捉えることができないが、全てが変わってしまったときに、「いったい何を記録しておくべきだったのだろうか」という問いが生じる経験--を思い返していた。目の前にあったもの(建物、道、植物、公園…)が無くなってしまった時に起こる変化は、物質的な領域にとどまららず、それらを媒介に作られていた関係性や、記憶、感情などにも影響を与える。そして、そのような目に見えないものの変化は、変化したこと・失われたことにすら気がつかないことが多いのではないだろうか。”変化”をそのような性質ものだと考えた時に、あらためて、「いったい何を記録しておくべきだったのだろうか」という問いが浮かぶ。
 
この移転にともなう一連の工事は、新しい暮らしを作る積極的な行為であるとともに、街の風景に刻まれた記憶を壊していく破壊的な行為としても捉えることができる。本プロジェクトの参加者とともに歩いた感想を交わすなかで、「人々の暮らしの風景に、変化が暴力的に入り込んでいる」というような感想がいくつかあがった。この変化を”暴力的”と感じるのはなぜだろうか。
対話の中では、どんな場所でも変化はしていくものだが今の崇仁ではその変化の仕方が急速で、短時間のうちにかつてあったものが失われている状況への驚きや危機感であったり、ここで暮らす人々の生活空間が、周囲の変化(空間のスケール感が変わってしまうような変化)にとても”追い詰められている”ように感じられる、というような意見があった。生活の場が急速に変わっていく状況として、同じ類いのものと考えてよいのかは分からないが、私自身は3.11の震災後に行われた対話の中であった言葉ーー自らの手(小さな技術」)を使ってつくられた生活の風景に在る”自在さ”が、自らの手では歯が立たない大きな技術によって、壊されてしまったように感じるーーを思い返し、それと似たようなことが今の崇仁地区にも起きているのではないかと感じた。
 
※写真の順序がめちゃめちゃですが、ひとまずそのまま載せます。