|
---|
奥羽山脈方面を望むと、なだらかな起伏の続く風景の中に、きれいな三角おにぎり型の山がよく目立つ。遠方に出かけて帰ってきた時や夕暮れ時に太陽が沈む時、太白山をみると、仙台にいることを強く実感する。深山(みやま)のような遠くの山というよりは、暮らしの場に近い”裏山”として親しまれている太白山であるが、この山には今でも語り継がれている数々の伝説があるそうだ。仙台に長く住む人なら、そのなかのいくつかは聞いた事があるかもしれない。(といいつつ、私がこれらの伝説を知ったのはつい最近のことだが…。) ーー昔、太白山に大男が住んでいました。いつも山のてっぺんにある敷石という大きな岩にどっかと腰をかけ、右足は一里程南東にある名取の高館山(名取市)の麓の吉田部落の田圃の中におろし、左足は海岸に近い部落におろして、海から魚や貝を取って食べていました。食べた時の貝殻は茂庭の岩の川に捨てたので今でも貝塚のような厚い層になっているそうです。時々、大男は大きな足で麓の村におりてきますが、首は雲の上に突き出しているので、村人たちには顔が見えません。ただ太い二本の柱がノッシノッシと歩いてくるのを見るだけだったといいます。この大男、それでも性格は優しく、麓の村人が田畑の仕事で忙しい時 には、村におりてきてよく手伝いをしてくれました。太白山の南東を流れている洗沢は、大男が汚れた手足を洗ったところだと語り伝えられています。名取の吉田部落には、大男の右足の跡だという長さ三尺程の足跡のついた石が田圃の中に残っているそうです。ーー ![]() ▲緑ヶ丘団地周辺から太白山を望む 青葉山丘陵を歩くと、この伝説の源泉に触れられるような気がする。 ![]() ▲青葉山・地層から貝の化石が露出している 太白山からより視野を広げて考えてみる。
|