仙台のなにもなさを歩く(4)伝説の源泉に触れたい | Nozomi TANAKA 仙台のなにもなさを歩く(4)伝説の源泉に触れたい – Nozomi TANAKA

 

     
仙台のなにもなさを歩く(4)伝説の源泉に触れたい

奥羽山脈方面を望むと、なだらかな起伏の続く風景の中に、きれいな三角おにぎり型の山がよく目立つ。遠方に出かけて帰ってきた時や夕暮れ時に太陽が沈む時、太白山をみると、仙台にいることを強く実感する。深山(みやま)のような遠くの山というよりは、暮らしの場に近い”裏山”として親しまれている太白山であるが、この山には今でも語り継がれている数々の伝説があるそうだ。仙台に長く住む人なら、そのなかのいくつかは聞いた事があるかもしれない。(といいつつ、私がこれらの伝説を知ったのはつい最近のことだが…。)
実際に歩き回るなかで私が興味をもったのは、「太白山の巨人伝説」である。
話のあらすじはこうだ。

ーー昔、太白山に大男が住んでいました。いつも山のてっぺんにある敷石という大きな岩にどっかと腰をかけ、右足は一里程南東にある名取の高館山(名取市)の麓の吉田部落の田圃の中におろし、左足は海岸に近い部落におろして、海から魚や貝を取って食べていました。食べた時の貝殻は茂庭の岩の川に捨てたので今でも貝塚のような厚い層になっているそうです。時々、大男は大きな足で麓の村におりてきますが、首は雲の上に突き出しているので、村人たちには顔が見えません。ただ太い二本の柱がノッシノッシと歩いてくるのを見るだけだったといいます。この大男、それでも性格は優しく、麓の村人が田畑の仕事で忙しい時 には、村におりてきてよく手伝いをしてくれました。太白山の南東を流れている洗沢は、大男が汚れた手足を洗ったところだと語り伝えられています。名取の吉田部落には、大男の右足の跡だという長さ三尺程の足跡のついた石が田圃の中に残っているそうです。ーー
[仙台市生出公 民館内新しいふる里づくり講座「おいで」編集委員会 (1991)『もう一つの仙台-生出 第 4 号』]



▲緑ヶ丘団地周辺から太白山を望む

青葉山丘陵を歩くと、この伝説の源泉に触れられるような気がする。
竜の口渓谷周辺のに分布する竜の口層は、今から約500万年前の時代に、現在の仙台湾から深く入りこんだ、湾状の海に堆積した地層からなる。東北大学の博物館でも展示されているのでご存知の方も多いと思うが、この地層からは、貝殻の化石ばかりでなく、クジラやゾウなどの大型哺乳類の化石も見つかっている。現在でも歩けば貝殻の化石が露出した地層に触れることができる。昔この周辺に暮らした人々も、大きなクジラの化石を見つけて、この周辺の山に住んでいた巨人の遺骨だと想像したのかもしれない



▲青葉山・地層から貝の化石が露出している

太白山からより視野を広げて考えてみる。
暮らしの中で生み出され、語り継がれた伝説が、仙台にどれだけあるのかは分からない。形は失われても、物語だけは残っているものもあるかもしれない。人が住める場所に作り変えられる過程で、それらの伝説の源泉が取り除かれ、失われたり、別の場所に移されたりしているのかもしれない。カミが取り除かれた場所に、新しい神が置かれ、その場所に新しい意味を与えることもあれば、カミが取り除かれることによって、人が暮らせる場所となることもあるかもしれない。
子どもの頃、自分が暮らす団地から、南東方面の山が造成によって削られていく様子がよく見えていた。現在の相互台団地のあたりだろうか。自分の住む団地もこのよううに造られていったのだろうか…と思ったのか、気になってよく眺めていた記憶がある。あの山にはどんな名前があったのだろう。


Date: 11/01/2018 | Category: フィールドノート|仙台|制作|地域 | Name: Nozomi TANAKA