戊辰戦争 | Nozomi TANAKA 戊辰戦争 – Nozomi TANAKA

 

     
戊辰戦争

仙台市博で開催中の「戊辰戦争150年」の関連講座に参加した。
戊辰戦争に至る経緯やその選択を仙台藩からの視点で辿るものだが、市博の中武先生のお話がめちゃくちゃわかりやすくて感激…。

ペリーの来航が朝廷と幕府が分裂していく火種となって、さらに日米修好通商条約の調印をめぐって、その対立が決定的なものになっていく。米国という大きな敵(?)が現れる中で、内乱なんかしてる場合じゃないというのが、仙台藩の思いではあったけれども(そして徳川幕府ももう終わりだな…とすら予感していながらも)戦いに巻き込まれていった感。

半ば言いがかりのような感じで会津藩がせめられて、仙台藩も表向きには朝廷に従って錦の御旗を揚げたけど、水面下では会津藩と朝廷を取りなすために動いていた、が、奥羽鎮撫総督は会津藩の謝罪を却下し、約束通り奥羽諸藩は会津と結束して新政府軍と戦うことになった、という辺り、とにかく言いがかりをつけてでも旧幕府側を倒そうとする薩長の思惑どおりに事が進んでしまった感じが(天皇の意志ではなく)…会津藩がいまでも薩長に独特の想いを抱いているわけもなんか分かる気がした。(そしていまだに政権を握っているのが薩長側ということもなんか根深い…)

それから「錦旗」というのがここでとても象徴的に用いられていることも重要なことに思う。
仙台藩も加賀藩も、こうした動きが「本当に天皇の意志ですか?」という疑問を持っていたけれど、行動を起こしたものが錦旗を揚げれば朝廷の意志ということになってしまう。そして会津征討を命じられた仙台藩にも錦旗が送られていたり…。

歴史にifはないとは言われるけど、もしも同盟側が新政府軍に勝ってしまっていたとしたら、どんな社会になっていったのだろう。質問したかったけど、講演会場の抽選に漏れてサテライト会場で聴講していたので聞けなかった…

帰りにちょっと遠回りして宮城野の国分寺趾へ行ってきた。日が落ちるのが早くて暗くなってしまって、建物がよく見れなかったけど、こちらは仙台というよりも陸奥としての場所性が強いような気がする(あとなんか聖武天皇感…?)。青葉エリアから自転車で移動するとそのレイヤーの違いも感じられて楽しい。


Date: 11/18/2018 | Category: メモ|独り言 | Name: Nozomi TANAKA