仙台の何もなさをあるく(5)石窟仏が見てきたものを見てみたい | Nozomi TANAKA 仙台の何もなさをあるく(5)石窟仏が見てきたものを見てみたい – Nozomi TANAKA

仙台の何もなさをあるく(5)石窟仏が見てきたものを見てみたい

2018年の4月、郷土史家のM原さんにご案内いただき、三居沢周辺を歩いた。三居沢は青葉山丘陵の、北側の山陰になっており、目の前には広瀬川が流れる。しっとりと湿った雰囲気のある場所だ。青葉山というと、仙台城や護国神社のイメージしかなかった私にとって、この三居沢歩きは山への捉え方を変える体験だった。
現在がそうであるように、おそらくいつの時代も、青葉山は仙台に住む人々にとって象徴的な存在だっただろう。しかしそれが象徴する意味は、時代によって違いがありそうだ。

現在は、都市のすぐそばにある自然環境として、杜の都を象徴するものになっている。しかし少し時代を遡ると、戦後の米軍進駐、戦前〜戦中の東北鎮台・第二師団、伊達政宗によって築かれた仙台城というように、それは都市の要塞となり、軍都を象徴するものだった。
そして今回、M原さんの案内で歩いた三居沢は、また異なる青葉山の姿を教えてくれた。

ご存知の方も多いと思うが、青葉山周辺には、社寺や板碑などがまとまっていることから、古くから「特別な場所(霊場)」と考えられてきたと推定されている。三居沢不動尊も、そうした霊場の一つだ。境内の奥にある「お滝」は、江戸時代以前から信仰の場所となっており、修験者が滝行をしていたといわれる。



この三居沢不動尊の裏山、北側の斜面に、由緒不明な石窟仏が鎮座している。西を背にして、静かに手を合わせている。かなり風化が進んでいるが、いつからあるのだろうか。

境内やその近辺に残る板碑・石仏類は、『仙台の石仏散歩』などでも紹介されており、実際に見たことがある方も多いだろう。しかし、この石窟仏については、私が探した限りでは、どの本でも見つけられなかった。唯一それらしき記述が『伊達家史叢談』にある。それによると、「大正9年(1920)8月中旬の大雨で、工兵作業所(師団司令部の西南1町)の裏山が崩れ、『岩壁に物体』があることが確認される」(参考:東北大学植物園「植物の日ガイドツアー『文化財から見る青葉山の歴史』資料」)とある。いつ、誰が掘ったのだろう。昔の青葉山の姿や、その移り変わりを、この石窟仏は見てきたのだろうか。聞けるものなら聞いて見たい。この石窟仏について何か情報をお持ちの方がいましたら教えて下さい。




Date: 01/03/2019 | Category: フィールドノート|仙台|制作|地域 | Name: Nozomi TANAKA