肘折温泉-ひじおりの灯のためのメモ(2) | Nozomi TANAKA 肘折温泉-ひじおりの灯のためのメモ(2) – Nozomi TANAKA

肘折温泉-ひじおりの灯のためのメモ(2)

メモその2
 
  
▲今回お世話になった宿・三浦屋さん(左)と、取材で何かとお世話になっているほていやさん(右)
 
 


▲朝食。ふきのとうと椎茸を甘塩っぱく炒めたものが素晴らしく美味しかった。

 
 
朝食をすませてほていやさんに挨拶に行くと、ちょうど新庄からのお客さんを地蔵倉へ案内するというので、同行させてもらうことにした。
温泉街の南側、肘折ダム方面の参道から向かう。

少し歩くと、コンクリート造りの祠が見えてくる。これはほていやさんがお世話していて、中にお地蔵様が収められている。
地区の人はこれを「山菜地蔵」と呼んでいて、山菜がよく取れるように祈願したらしい。
よく見ると、頭が後からくっつけたものになっている。
ほていやの店主・エイキさんによれば、廃仏毀釈で頭が壊されて首なし地蔵になっていたものを、先代が手作りで頭をくっつけて、顔を描いたのだそう。
 

さらに進むと、一昨年ほていやの傳(つたえ)おばあちゃんに教えてもらった、山姥様の祠跡がある。
斉藤傳さん→https://hijiori.jp/tabi/hito/hito07.html
ある日現れた山伏から、荒れていた山姥様の祠のお世話をして欲しいと頼まれから大切に守ってきたが、平成19年に突如その祠がなくなってしまったという。つたえおばあちゃんは、誰か信心深い人が持って行って拝んでいるのかもしれないと言う。


▲今は基礎の石だけが残っていて、それなりに大きい祠だったことがわかる。

ちなみに山姥様は木造で、虫食いだらけだったらしい。この山姥様に防虫スプレーを施すのが、子供の頃のエイキさんの仕事だったそうだ。
あの時いったい何があったのか、山姥様に聞けるものなら聞いてみたい。
 
 
 
いろいろ道草をくいつつ、地蔵倉へ到着。
 

毎回、よくこんな断崖絶壁の岩窟にお堂を建てたものだと関心する。
こうした自然岩窟は、かつて狩猟民や山伏などが野営に使うなどしていて、山への祈りを捧げる場になったのだろうとも言われている(らしい)けど、この場所からの眺めを宗教的に読むと、地蔵倉がなぜこの場所に建てられたのかが想像できるという。
というのも、地蔵倉から西方を望むと、正面に三角山、その奥に隠れて見えづらいが、月山がある。ハヤマ信仰とか三山信仰でも、月山は“あの世”だったり“来世の極楽浄土”と位置づけられる。地蔵倉の足元に流れる川は、銅山川のほか、カラス川とか祓川とも呼ばれていて、あの世とこの世の境界(結界)をつくり出している。その間に、三角形の象徴的な形の三角山がある。秋分の頃になると、この地蔵倉から見てちょうど三角山と月山が重なる頂点に、太陽が沈んでいくらしい。(ハヤマ信仰と三山信仰の時代の違いや関係とかの詳しいことはよく知らないので、まちがってたらすみません。)
 


▲地蔵倉から西方を望む

 


▲瑠璃光世界(浄土)

 
 
地蔵倉のお堂の手前には六地蔵がならぶ。6体以上あるけど、誰かが後から追加した模様。
 
 

 
これらのお地蔵さまも、廃仏毀釈の折に壊され首がもげてしまっていたらしい。
新政府の出した神仏分離令は、神道中心の国づくりを目的としたもので、仏教排斥を意図したものではないとされているが、結果として廃仏毀釈運動が起こり、多くの仏教寺院や仏像を破壊・消失させることになってしまった。今の時代ならインターネットとかSNSもあって情報が広く早く伝わるけど、当時にしてどんな風にこういう運動が全国に広まったんだろう。