[ひじおりの灯制作メモ] 川上から流れてくるもの | Nozomi TANAKA [ひじおりの灯制作メモ] 川上から流れてくるもの – Nozomi TANAKA

 

     
[ひじおりの灯制作メモ] 川上から流れてくるもの

■ 7月6日
facebookの「ひじおりの灯制作ノート」を投稿したら、2015年に大地の芸術祭の時にお世話になった、ネオ昭和さんが連絡をくれて、カラムシ布をいただけることになった。灯篭に使ってみてくださいとのこと。肘折の開湯縁起には「唐麻」が登場するから、カラムシ布を使うのは面白いかもしれない。
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■ 7月9日
今朝、ネオ正和さんからカラムシ布が届いた。白地はマスク需要で余裕がないということで、薄ピンクのもの。買ったら結構なお値段がするような気がする。思いがけず素敵な誕生日プレゼントをいただいたような気持ちに…本当にありがたいです。麻布はガサガサしているイメージがあるかもしれないが、カラムシ織はとても繊細で、さらっとした心地よい肌触りをしている。

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■ 8月11日
肘折温泉縁起では、川上から流れてきた麻布がきっかけで、山中に人家があることに気づき、登った先で地蔵に出会い、湯殿山など霊山を巡って、月山に至る肘折口が開かれるという話の大筋になっている。頂いた桃色のカラムシ布を眺めていて、川上から流れてくるもので物語が展開する、桃太郎を思い出す。

  

瓜子姫や花咲か爺さんなども、川上から思いがけずもたらされたものによって物語が展開する。昨年ゆうわ座で小野さんが指摘していたけど、川上は山に連なるもので、このような物語には、山岳信仰や山中に理想郷があるという思想が背景にあるのではないかという話を思い出す。麻布は村人というよりも、山の神とかが、あえて川に流したのかもしれないと妄想した。ここは肘折と名のつく前はなんと呼ばれていたのだろう。いまの温泉街があるあたりは草ぼうぼうの河原で人は住んでいなかったらしいが、今回の川の氾濫を見て、俗世とあの世との堺のような、常に作り変えられる混沌とした空間を想像した。
それが肘折の聖地性なのかなと思うけど、『温泉巡礼』(石川理夫)のなかで"よく「聖と俗」という言い方がされるが、本当は二つは対置されるものではない。「俗」を許容する懐の深さがあるから「聖」なのである。(中略)俗も聖もすべて受け入れる懐の深さがある。"と書かれていて、なるほどと思うとともに、そもぞも何が俗で何が聖なのだろうと、改めて考えるとよくわかっていないかもしれない。上の湯に浸るときの感覚が聖と呼ぶものに近いのではないかとは思うけど。
温泉自体は807年に発見されたという伝説もあって、周辺の台地には旧石器時代(?)の遺跡もあるから、川の被害を受けない周辺には定住していたんだろうけれど。


Date: 08/11/2020 | Category: ひじおりの灯|メモ|制作|地域 | Name: Nozomi TANAKA