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クロストークを終えて

先日7/15、塩釜市杉村惇美術館で開催中の展覧会の関連イベントとして、石倉敏明さんとのクロストークを行いました。
石倉さんは、作品だけでなく制作プロセスにおいても、深く受け止めて言葉を与えて下さるので、本当に私にとって得難い先生の一人です。そういう訳で、今回のトークでは、場所と関わりながら制作していく上での悩みになどついて、相談させて頂きました。... 続きを読む


Date: 07/17/2018 | Category: メモ|展示 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

【お知らせ】クロストーク「場所をめぐる話 −記録と創造の間から−」

7/15、塩竈市杉村惇美術館での展示の関連イベントとして、石倉敏明さんとのクロストークを行います。(ぜひ石倉さんをお呼びしたいと、私のわがままでお願いしました…。)
トークの副題にある「記録と創造の間」は、私が常々悩んでいることです。おそるおそる「場所」に飛び込んで、その中から何か「問い」を見つけて、そうした問いを「作品」として形にしていく、という一連のプロセスから、今のところ実感していることは、「場所」というのは確固たる実在としてあるというよりも、私自身の「場所」に関わる姿勢(観察態度?)によって、さまざまな意味を持って現れるものなんじゃないかということです。そして、そうだとしたら、自分はどうやって場所を観たり、体験したら良いのだろうか、ということがまず問われるのだと思います。(その生じた「問い」をどうやって形にすればいいのだろう…という所でも、また悩んでしまうのですが。)
地域アートの広まりと関係して、場所・場所性を問うような芸術実践は昨今非常に増えている印象があるのですが、そうした事例も紹介しつつ、あまり堅苦しい話にはせず、私自身の経験から実感していることや、自分にとっての課題、今後の可能性などについて、対話をしながら考えていければと思っています。どうぞお気軽にご参加ください。
イベント詳細は以下のリンクをご確認下さい。... 続きを読む


Date: 07/14/2018 | Category: イベント|お知らせ|展示 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

災害支援の参考リンク

この度の地震や豪雨で被災された方々にお見舞い申し上げます。「直接的な被害は受けていないけれど」という方でも、災害に関連して何かと不便な状況が続いているかと思います。
どうしても遠方の地域となると、どうやってこの災害に向き合ったら良いのだろう…という気持ちになってしまいますが、東日本の震災の時もそうだったのかもしれないなと思ったりしています。
SNSの投稿などから、現場に行けなくてもいろいろな支援の方法があるんだなと、いくつか見ていると、この支援は協力して大丈夫なものなのだろうか…と、判断に迷ってしまいます。「現場で必要とされているものが、必要としている所に、なるべく受け取り先の負担が少ない形で届くためには?」。リンク先の記事がそうしたときの参考になるかなと思ったのでシェアします。
 
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180711/k10011528561000.html
(NHKニュースウェブのサイトに飛びます)... 続きを読む


Date: 07/13/2018 | Category: メモ | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

塩竈取材・京都編(塩竈神社と鹽竈神社)

7/2-4にかけて、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAにて開催された映像ワークショップに参加するため、京都に行って来た。
「そういえば塩土老翁神は西の方からやって来たんだよな…」と思い、京都の塩竈神社をGoogleで検索してみたところ、ちょうど宿泊先のドミトリーの直ぐ近くにあるではないか。最近、塩で頭がいっぱいだったので引き寄せたのかもしれない…。さっそく見て来た。
 
京都の塩竈神社は、観光客で賑わう錦市場の東側、錦天満宮の境内にあった。以前京都を訪れた時に参詣したにもかかわらず、その時は全く気がつかなかった。
 
 

 

 
 
錦天満宮 由緒沿革(HPより引用)... 続きを読む


Date: 07/06/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

塩竈取材(赤坂とキツネ)

赤坂は権現堂と隣り合う地区で、こちらも古い道や民家が多く残っている。
 
 


 
「六坂の一つで、坂の上部は念仏担と呼ばれた。仙臺街道整備に伴う開削土砂は、西町などの埋立に利用されたと思われる。塩竈集塊岩といわれる安山岩質の赤褐色土壌が名の由来」(石碑文より)
石碑のそばにはマンションが建っているが、かつては越後屋があり、街道の分岐点になっていた。神社の表坂付近は花街で、旅籠屋も多く、賑やかだったことだろう。  
 
 
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Date: 06/27/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

塩竈取材(権現堂・秡川)

先日訪れた際、歩きながら気になったのが、赤坂〜権現堂周辺。
今回も再びこの周辺を歩いてみた。... 続きを読む


 

鹽竈取材(塩作りの工房へ②)

6/26 (火) 晴れ のち 曇り
 
塩作りの及川さんのもとへ2回目の訪問。
先日は見れなかった、大きな釜を焚いている現場を見せて頂いた。... 続きを読む


 

塩竈取材(岬の稲荷神社②払ヶ崎稲荷神社)

岬の稲荷神社①小室ヶ崎稲荷神社の続きです。... 続きを読む


Date: 06/23/2018 | Category: フィールドノート|塩竈 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

塩竈取材(岬の稲荷神社①小室ヶ崎稲荷神社)

塩釜の地図を眺めていると、埋め立てによって海にせり出していった平地と、かつて岬だったのではないかと思われる山々とのコントラストに目を引かれる。そして、そうした岬の山々の上には、なにか訳でもあるのかとたずねたくなるほどに、稲荷神社が祀られている。稲荷神社の神使いが狐であることは広く知られていることだが、「なぜ狐なのか」を考えてみると、ともするとありふれていてあまり注視されない(かもしれない)稲荷神社も、いろいろと想像力を掻き立てられておもしろい。
中沢新一氏は『アースダイバー』(講談社)のなかで、「イナリという神様は、死者の国の護り神で、東京の場合だと、稲荷の建っているところはたいてい古代の埋葬所に関係があるとにらんで、まず間違いがない。」(p158)と述べている。それがどういうことなのかは詳しく書かれていないのだけども、塚や洞穴などにつくられたかつての墓を狐が巣にしていたことから、墓の門番のように思われたということなのかもしれない。そういった意味での古いイナリが、どうして稲の神様や商売の神様としての稲荷になったのかは、これからもうちょっと勉強しなければ…。
ともかく、これらのイナリ/稲荷神社の岬の上からはどんな風景が見えるのだろうか?という好奇心から、一つ一つ登ってみることにした。
 
 
1.小室ヶ崎稲荷神社
旭町の山の上にある神社。細く急な階段を登った先にある。... 続きを読む


Date: 06/22/2018 | Category: フィールドノート|制作|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

仙台の”何もなさ”を歩く(2)

仙台に対して「”何もない”と感じる」とはどういうことだろうか。
 
「仙台でも調べればちゃんと歴史はある」では、この問いの応えにはならない。
「調べればどんなところにでも歴史はあるはずだが、なぜそれが”見えなく”なっているのか」ということについて、
・”何もなさ”を一体どのようなこと・ものから感じているのか?
・”何もなさ”はどのようにして作られていくのか?
上記のようなことを自分なりに考察していきたいと思う。
 
この問いを設定する背景として、ひとつは、先日の記事で書いている。
それに加えて、もうひとつは、仙台の歴史や文化というと、伊達政宗関係のことには触れやすいが、伊達関係以外のことがどうも見えにくいと感じることにある。
確かに、仙台を築いたのは伊達政宗なので、仙台市の歴史といえば伊達関係の資料が中心になるのは当然のことかもしれない。
 
仙台がどのような歴史を経て、今の自分たちの暮らしに繋がっているのかを知りたいと思い、何度か仙台市博物館を訪れてはみるものの、「なんか伊達関係のことしかよく分からなかったな…」というのが見終えて実感として残る。
自分の住む団地の近辺がどのようになっていたのかを知りたいと思い、解説ボランティアの方に、伊達政宗が仙台に築城する以前の青葉山の姿について伺うと、「それは資料が残っていないのでちょっと難しいかもしれない。市博は、収蔵品の多くが伊達関係資料の寄贈から成るので、たしかに伊達関係以外の歴史についてはあまり知ることができないかもしれない」と教えて頂いた。
しかし、その欠如から考えられることもあるような気がした。
たとえば、常設展示にある『仙台城のすがた』には、伊達政宗は慶長5年(1600)、青葉山に仙台城を築き始め、翌年には城下町をつくり始めた。この場所には政宗以前の領主国分氏の千代城があったといわれている。」という記述がある。(伊達政宗の仙台運営が始まる直前まで、青葉山には中世の寺院があったと聞いていたが、それは国分氏の城のことなんだろうか?)その地を治めるものが入れ替わるにあたって、どのような力が働いたのだろうか。また、それによって、青葉山に与えられる意味や役割も何かしらの変化があったのではないだろうか。
国分氏について調べてみよう。
 
 
それから以前、仙台の歴史や文化の多くが失われた出来事として、「戊辰戦争」の影響の大きさを教えて頂いた。そのときは気がつかなかったが、たしかに、戊辰戦争とそれからの明治維新は、仙台のみならず日本が大きく変化をしていく出来事だった。明治維新による影響という点から仙台市内の寺社について調べると、仙台市のウェブサイトでは次のように書かれている。
 
 
明治維新後の仙台の寺・神社
 
明治維新後の寺や神社は、それまで藩から与えられていた領地が没収され、扶持米(ぶちまい:家臣のように藩から支給される俸給米)も打ち切られて、経営を維持することが苦しくなった。
廃絶したり近隣の寺社に吸収される例が多くあったほか、広い敷地を切り売りしたところも多い。また、明治元年(1868)の神仏分離例によって寺と神社は信仰と経営の両面で切り離され、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:寺や仏教徒を否定する運動)も起こって,荒れ放題になる寺院が少なくなかった。明治5年(1872)には修験が禁止され、廃寺となったり改宗した修験寺も多かった。

ー仙台市ウェブサイトより(http://www.city.sendai.jp/waka-katsudo/wakabayashiku/machizukuri/miryoku/terameguri/yogo.html
 
 
こうして見ると、大きな出来事としては、戦前〜戦後、戊辰戦争〜明治維新、仙台〜千代という変革期が仙台には存在しているようだ。一つ一つの変化の性質については、まだよく分からないが、この大きな出来事の前後で歴史は更新されてきたということなのかもしれない。このような節目は調べればもっと出てきそうだが、どうだろうか…
 
 

▲仙台城の石垣 
 

▲青葉山から北方を見渡す(撮影日:2018/4/14)... 続きを読む