Statement

 

人間が生活を営む場所placeを、場所性placenessと没場所性placelessnessの両面から観察し、
場所に対する認識を複層化していくような(一度壊して創るような)場所のものがたりを描く。

私が研究テーマとしてきたのは場所と芸術の関わりについてですが、このことを考える背景として、
2000年代から盛に行われる様になった「地域アート」というものがあります。
私にとって「地域アート」は、芸術の意味を考え、可能性を感じるきっかけを与えてくれたフィールドであると同時に、
それらが抱える問題に直面し、悩まされる呪いのようなものでもありました。
私の悩みは細々とありますが、それらはおおよそ以下の2点のようなことです。
1つは、社会関与のアートとしてその社会的意義が求められる「地域アート」が、
その本来的な目的ゆえに、芸術の役目を目の前の地域課題への処方箋として提供することになりがちなことにありました。
国や地域などから助成を受けて行われる「地域アート」にとってこれは避けがたいことなのかもしれません。
また、この拡張したアートの場所としての地域では、他の領域を取り入れながら地域への課題へと取り組むという上で、
非常に意義深いものだという肯定的な側面は確実にあると思います。
この上で私自身にとって課題と感じるのは、こうした社会関与型の「地域アート」へ無批判に関わることによって、
場所への批判性(=芸術としての役割)を欠くような状況を私自身が作ってしまうということです。
そしてもう1つは、地域アートという言葉が含意する、地域=地方という枠組みと、
私自身が対象としようとしている「場所」にはズレがあるということです。
私自身が対象とする「場所」は、そもそも「東北」や「地方」とは異なる枠組みのものだと考えています。
私が対象とする場所とは、人間の地理的経験によって意味付けられた場所placeであり、
それらは空間・経験・時間などの総体であると考えています。
簡単に言えば、人間が地理的環境との交渉によって形作ってきた場所です(と、今のところは私の中で説明づけています)。
しかしそれが「地域アート」という認識で語られることによって、プリミティブな場所としての地域=東北という偏ったイメージを、
創造性によって強化してしまっているのではないかという問題です。
私自身が「場所」に興味を持つことの根底にある現在的な関心は、
今自分が立っている場所がどの様に成っているのかを確かめることにあって、
それは「地方的なもの」の探求ではありません。
(言葉で言い訳をしないと、その作品が表明しようとしていることが伝わらないというのも
情けないところですが…)

以上のことは、自身が「地域アート」に関わることによって意識された課題ですが、
これらのことを自分なりに言語化し、それを作品制作によって表明できないかと考えて、
大学院では取り組んできました。
言葉にしてみたところで、これで本当に良いのだろうか?とか、作品として何か変化があっただろうか?というのは、
自分ではまだよく分からないというのが正直なところです。

詳しいことは論文をお読み下さい。
Doctoral dissertation (Japanese only)