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鹽竈取材(西町、秡川)

塩作り工房を後にし、及川さんの話を思い出しながら鹽竈の町なかを歩きまわった。
正直、鹽竈を訪れた当初はどこを見たらいいのか分からず、とりあえず鹽竈神社と御釜神社を見るだけだったのだが、お話を聞いてから改めて歩いてみると、少しずつ鹽竈が見えてくるような気がした。... 続きを読む


Date: 06/18/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

鹽竈取材(塩作りの工房を訪ねる①)

塩作りのおじさんに会ってきた。私にとっては「やっと会えた」という感じだった。
以前に塩作りをモチーフにした絵を描いてはいたものの、塩作りの現場をみたことがなかったので、なんとなく後ろめたさがあったのだ。

 
緊張しながら工房にお邪魔した。奥の釜では塩が焚かれて(?)いた。
ひとまず、地域のことを調べたりしながら絵を描いてること、塩作りの文化に興味があり以前絵に描いたことがあることなど、軽く自己紹介をする。おじさんが開口一番に「塩作りの現場はどこかで見たことがあるのか?」と聞くので、「まだ見たことがないので見せてもらいたくて来た」と答えると、「お前は講談師みてえだな。実際に理解していないで見てきたように話す。ちゃんと現場のことを見てきたものでないと俺には響かないね」と返された。怒っている風でも咎める風でもなく、おれはそう思うね、という感じで。
血の気が引くと同時に、自分がとても恥ずかしくなった。でもそれは私を突き放すような態度ではなく、それからおじさんは、塩作りのことや、鹽竈の話をいろいろと聞かせてくれた。
 
市史や鹽竈神社に関する本で多少調べはしていたものの、やはり「会って話す」ということから得られるものは大きい。それは資料を読むことから得られるものはないということではなくて、自分の実感が伴わないと書かれたものを理解することは難しいのだ、私の場合は。
おじさんは自分の足でいろいろな土地へ出かけるらしい。そういう、「実感することから考える」ことを常にして来た人だからこそ、私の上滑りした感覚に意見してくれたのかもしれない。

 

 



 
さて、塩作りの工房は創業2009年。もともとは魚の加工を行い販売する商店を経営していたそうだが、地域の文化に根ざした事業を開発し地域活性化につなげようという市の動きや、「古来から塩作りが行われてきた土地で塩が生産されていない」という及川さんの想いが重なり、商店を改装して塩作りの工房を開くことになったという。
古来からの製塩技法を取り入れた塩作りで、ホンダワラで濾した潮水を竃で焚き上げることから「藻塩」と名付けられている。
窯焚きの工程は2段階あり、はじめに15時間ほど大きな釜で焚き、一晩置いて、鹹水の状態になったものをさらに焚きあげる。

 

 

▲ホンダワラ


▲ホンダワラで濾した潮水



 
初めの釜で焚いた際に出来上がる大きな塩の結晶は、この手間暇がかかる塩作りならではのもの。前日窯焚きをして、翌朝工房に来ると、釜一面に大きな塩の結晶が広がっているのだそう。これは常に出来るのではなく、何かしらの条件が揃ったときにしか発生しないらしい。

 

 

▲大きな塩の結晶



 
おじさんはこの塩の結晶を見て、旧字の「鹽」という漢字の「鹵」の部分がまさにこの結晶の形だと納得したのだそうだが、確かに見て納得である。

 
 

 

 
私が工房を訪ねたときは、窯焚きの第二工程が行われていた所だった。
 

▲鹹水を焚き上げている所


▲焚き上がった藻塩



 
また今度、最初の大きい窯を焚いている所を見せてもらう約束をした。

 

 
おじさんは「塩作り」の他にも、鹽竈の話をいろいろと聞かせてくれた。... 続きを読む


Date: 06/17/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

鹽竈と鹽竈神社(メモ)

押木耿介『鹽竈神社』p.64より引用... 続きを読む


Date: 06/12/2018 | Category: メモ|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

【お知らせ】『氏家昂大・田中望展 土のみち 土のさち』

この度、若手アーティスト支援プログラムVoyageとして、『氏家昂大・田中望展 土のみち 土のさち』が開催されることになりました。
 
2018年7月7日(土)〜8月26日(日) 企画展示室1・2
10時〜17時(入館受付は16時30分まで)月曜休館(ただし7/16[月祝]は開館、翌日休館)
観覧料(企画展+常設展セット)
一般 500円、大学生・高校生 400円、中学生以下無料
 
主催:塩竈市杉村惇美術館
共催:塩竈市
 
※若手アーティスト支援プログラム「Voyage」とは、これからの活躍が期待される若手アーティストの可能性に光をあて、新たなステップを提供することを目的に、展覧会を中心としてトークやワークショップ等多様な表現の機会を設ける事業です。
詳細は→ http://sugimurajun.shiomo.jp/archives/3899 ... 続きを読む


Date: 06/10/2018 | Category: お知らせ|展示 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

奥松島縄文村歴史資料館へ

塩竈での展示に向けて、「塩」について調べている。
先月になるが、5月26日、奥松島縄文村歴史資料館の菅原館長に「塩作り」についてお話を伺いに行った。

 
事前に私からは、「塩づくりの過程とその利用において、塩竈周辺の地域は他の地域とどのような関わりがあったのか」について関心があり、詳しく知りたい。以前、宮本常一の『塩の道』を読んで、塩に焦点を当てることで見えてくる、山の民と海の民の関わり合いや、交易品として他のものと交換される、という営みがあることを知り、塩釜周辺の塩に関わるネットワークから、この土地の成り立ちについて考えてみたい。という質問を投げかけていたのだが、今回、考古学の視点から捉えた塩の文化について教えて頂き、いろいろ考えが改まった。
「塩分」はたしかに生命を維持するためには欠かせないものであるけれど、縄文時代に浜に暮らしてきた人々は、動物の血や肉・骨髄などから塩分は摂取できていたのだろうとのこと。大変な労力をかけてまで、「海水を土器で煮詰める塩作り」を行うだけの理由は、自家消費というよりも、山のムラとの交易品として、また保存料として必要とされていたものと考えられる。なんと松島湾の製塩土器は、山を越えた山形県の遺跡からも発見されているという。さらに、縄文時代まで遡れるという塩作りの歴史も、連綿と続いてきたものというわけではない。古墳時代の製塩遺跡が確認されていないことから、少なくとも弥生時代後期ごろには行われなくなっていると考えられるという([参考:奥松島縄文村歴史資料館『縄文の塩作り』冊子])。しかし途中で途絶えつつも、古代になると、とくに平安時代には盛んに塩作りが行われるようになっている。これには、その時代の政治的・軍事的な要請というものが背景にある(例えば、松島湾沿岸で盛んに塩作りが行われたのは、朝廷と蝦夷の戦いが激化した時期にあたり、朝廷による東北経営とこの地域が深い関わりがあることを示している [参考:文化庁編『発掘された日本列島』2017] )。
今回お話しを伺って、塩竈に関わる塩作り文化の複層性を知ることができたような気がする。それは、「縄文人にとっての塩作り」、「国府としての塩作り」(「鹽竈神社の塩作り」もここに入る?)、「仙台藩の塩作り」、などであるが、そのほかに「日本塩業革命後の塩作り(イオン交換膜式製塩)」がこの地域になにかしらの影響を与えたのかも気になる。
まとまりのない感じになってしまったが、つまり今の段階ではまだまだ作品となる筋を見つけるには至っていないということです…。
来週は塩竈で塩作りをされている方のもとを訪ねる機会を得られたので、何かしらの進展がありますように(焦)。

 


 

 
ちなみに奥松島縄文村は野蒜駅から徒歩で行った。もしかしたら震災前に車で通ったことがある道かもしれない…と、何となく見覚えのあるような気がしつつも、まっさらに何もなくなってしまった風景が続いていた。野蒜駅からは歩くと一時間ほどかかる道のりだ。道路は工事用の大型ダンプが往来するし、太陽が照りつけるしで、木陰や休憩場所などがあるはずもなく、歩くのは慣れているけれどこれはちょっと大変かも…と思い始めていたところ、白い軽トラが私の横に止まった。
運転手のおじさん(70代くらいか?)が声を掛けてきた。どこへ行くのか?と聞かれ、奥松島縄文村です。と答えると、同じ方向だから乗ってけ、と拾ってくださった。こんな風に拾われたことは始めてだったけれど、躊躇なく乗り込ませてもらった。乗るやいなやおじさんが語り始める。「この辺はなにもなくなってしまった」。私は「この辺りにもお家があったんですか?」と訊ねる。「この辺もずっと集落があったんだ。俺は百姓をやってて、でも震災があってからやめたんだ。大変になったから。何にもなくなってしまったんだ。ガスもなにも止まって。震災から1ヶ月経ってやっと、人のうちでお世話になって風呂に入れた時のことが忘れられない。お礼にコンブを持っていった」。こんなことをずらずらと語り始めた。もう何度も、震災の時の話を誰かと話してきた方なのだろうと感じた。私はたまたまこのおじさんと出会って、話を聞かせてもらった人の何人目かなのかもしれないと思うと同時に、「誰かにこのことを話したい」というおじさんの想いを感じた。
10分もしないくらいで目的地に到着した。おじさんは耳が遠くて、じつは私の相槌や質問はほとんど聞き取れていなかったみたいだ。連絡先とお名前を聞かなかったことが悔やまれる。何かの拍子にまた出会えたらいいな。

 

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Date: 06/09/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

仙台の”何もなさ”を歩く

今から370年前、数年がかりで荒野に開かれた仙台の市街は、その後の拡張と数回の大火を経、その都度復興を重ねて来たが、昭和20年7月9日、ただ数時間の戦災のため、その中心部を焼野と化した。」(渡邊万次郎『わが町仙台3代(明治・大正・昭和)の思い出』頁210)... 続きを読む


 

浦戸諸島の島あるき①

仙台の近くにありながらつい最近までその存在を知らずにいた、浦戸諸島。職場で共に活動している「みやぎ民話の会」さんとの打ち合わせの中で話題に上がり、行ってみたい!と思っていた頃に、塩竈の髙田さんと島歩きをご一緒できる機会が得られた。しかもこの時はちょうど、塩竈市浦戸諸島で活動する写真家・喜多直人さんの写真展「同居湾」が開催中で、幸運にも島をご案内頂いた。
 
 




 



 
 
事前にgooglMAPでも確認していたのだが、実際に降り立ってみるととても小さい。離島というと、酒田の飛島には2回ほど訪れたことがあったが、飛島の孤島感とはまた違い、たしかに「同居」という言葉がしっくりくる感じがした。島自体が、一つの船のようにも感じる。
 
 



 
 
この小さい島と島の間をつなぐのが「市営汽船」と呼ばれる小さな船で、街なかであればバスの役割となるものだが、4人も乗ればなかなか窮屈なくらいの大きさである。そのぶん、普段近くでみることのない船の操縦が目の前で見れるのがおもしろい。船長さん?にも話しかけやすい距離感で、ほんの数分の移動だけれども、島の暮らしのことを聞いたりした。「島から島へ移動する生活」というのが私にとっては非日常的な世界で、何から何までが新鮮に思える。不便なことはないのだろうかと思って聞いてみると、「オレにとってはこんなに暮らしやすいとこはないね」という。「でも奥さんは不便がって塩竈に出たがる」のだそうだ。
 
 



 
 
聞くと、浦戸の島へ嫁いでくる女性は、松島からの方が多いらしい。
これは喜多さんに教えてもらったことだが、むかし松島から嫁いできた女性が「ネギのタネ」を持参してきたらしい。そのタネから育ったネギが、いまでも島の畑で育てられているよ、と、小さな畑を案内してくれた。「ネギのタネ」とともに嫁いできた女性はまだご存命とのことで、喜多さんは畑を眺めていたところ、そのご本人からこの話を聞かされたという。他の地域の民話で「あずき」を握って嫁いできた、というような話を聞いたことはあったが、「ネギ」は初耳だった。
 
面積の小さな島のなかには、小さいながらも豊かな充足感のある畑があちこちに見られる。基本的に自家用とのことで、タネの交配も限られてくる環境にあるため、「在来作物」もあるのでは…と思ったところ、やはり在来の白菜があるらしい。現物は見れていないが、機会があれば拝んで見たい。
 
 



 

 
 

汽船の船長さんが、「あの山の向こうに雲がかかると風が吹くんだ」と教えてくれた。島から見えるのは泉ヶ岳か舟形山だろうか?しばらくすると本当に風が強くなってきた。
 
 




 
 
(つづく)... 続きを読む


Date: 04/15/2018 | Category: フィールドノート|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

【感想】やまもと民話の会 発足20周年のつどい

3月24日・25日、2日間にわたる「やまもと民話の会 発足20周年のつどい -大震災をのりこえ、民話を語りつぐこと-」に参加させて頂いた。

「やまもと民話の会」は、宮城県山元町で、地元の民話を語り継ぐ活動を20年にわたって続けてきたサークルだ。
2011年3月11日の震災では、山元町にも巨大津波が襲った。会の代表を勤める庄司アイさんとそのメンバーの皆さんは、自らも津波に流された被災者でありながら、避難先の体育館でいち早く聞き書きを始めた。その当時アイさんの手元にあった道具は、広告の裏紙、鉛筆、菜切包丁のみだった。被災した方のお話を聞き、目の前で書き留めるのがしのびなかったので、帰ってきてから広告の裏紙に書き記録した。鉛筆の先が丸くなったら菜切包丁で削った。そして、震災の年の8月、証言集『巨大津波』を発行。それから2012年4月までに、第二集、第三集を続けて発行した。

初日の24日は、『巨大津波』に証言を寄せて下さった地元の方ご自身による朗読が行われた。
証言集の語りということだけあって、そこには物語にあるような曖昧さや、表現の柔らかさというのはない。鬼気迫る体験が、誇張することもなく、「そのまま」語られているような印象があった。物質や身体の重さ、ブロック塀や建物の硬さ、水に濡れた布の冷たさ、庭から家の2階に駆け上がるまでの距離、おばあちゃんが必死で走るときの遅さ、お隣さんの声が遠のく感じ・・・。語りによって、記録されたテキストに「手触り」が生まれるようだった。

2日目には、みやぎ民話の会の小野和子さんや、東京学芸大の石井正己教授、そして山元民話の会の庄司アイさんらが登壇してのフォーラムが行われた。「あの日から、これまでの私」をテーマに、震災当時のことから、その後の動き、そして、そうした出来事を通して改めて「民話」について考えたことなど、それぞれの「あの日から」についてお話頂いた。このフォーラムの最後に話題となったのが「子どもたちの未来」に関することで、そのことは、初日の始まりにアイさんが述べた、「民話は命を生み、命を育むもの」という精神が、この2日間のつどいに一貫していたと感じられるものだった。大津波から7年が経った。津波を知らない子どもたちが小学校へ上がってくる。それと同時に、あの経験が今なおトラウマになり、津波の映像を見ると気分が悪くなったり、気絶までしてしまう子がいる。そうした子どもたちが、同じ空間にいるという状況がこれから生まれてくる。「忘れない」と言うのは容易いが、それをどのように伝えて行けばよいのかは、これからの我々の課題であると同時に、子どもは大人が思っている以上に「強い」もので、きちんとした言葉で伝えれば彼らなりに受け止めて成長していくのだから、案じずぎることもないのではないか、というあたりで終了時間となった。

この二日間のつどいに参加し、初日の当時のお話では、その瞬発力とエネルギーが、本当にすごい事だなと、途方もない気持ちになってしまった。民話をしてきた方の本当にすごいなと思う事は(いろいろあるけれど)、この緊急時に、それまで行ってきた「しっかり聞く」ことと「話し手が話したように記録をする」という事を即座に行ったという事で、この記録は必ずいろいろな形で生かされていくのだと思う。私などは、沿岸部の方を訪れても、そこまで踏み込んで「聞かせてください」という事が出来ない。話をきちんと受け止められる身体になっていないのが自分で分かるので、相手の懐に飛び込めない。ことに震災後は「聞く力」が試される場面が増えたように思う。... 続きを読む


Date: 03/27/2018 | Category: イベント|メモ|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

【読書メモ】『宮沢賢治を創った男たち』著・ 米村 みゆき

『宮沢賢治を創った男たち』、とても気が重くなるタイトルだけど、毎夜のたのしみに読み進めた。地方=辺境=前近代の場所としての「東北」に賢治の芸術性を結びつける眼差しが、いとも容易く土着さの称揚となってゆく。全く比べるのはおこがましいけど、この居心地の悪さを私も度々感じている…。東北という言葉は、西からの眼差し(東北という方角への一方向的なフレーム)という感じがして、私はどうにもなじまないけど、東北の人でも東北が自らの場所として内面化されていたりするし、不思議な言葉だなと思っている。
本書を一通り読んで、ひとりの詩人が国民的な芸術家となっていく政治性について考えさせられた。『雨ニモマケズ』は、「日本の精神」という神秘性(評価)が与えられることによって、「聖句」的な影響力を持つことになる。「魅力的な」芸術は、作者の意図を離れてひとり歩きする。その芸術性を利用される危うさは、いつの時代の芸術家にとっても同じことだろう。... 続きを読む


Date: 03/26/2018 | Category: メモ| | Name: Nozomi TANAKA / 田中望

 

「星空と路・上映室」の感想

2月24-25日、3がつ11にちをわすれないためにセンター(せんだいメディアテークの震災関連事業です)が毎年開催している「星空と路上映室」がありました。今年の上映室は「暮らしの行き先」というテーマのもと、震災に関連した様々なことがらの記録映像が上映され、(一応仕事ですが)私も参加者としてたのしみました。
震災による被害の状況や変わりゆく地域の姿を、客観的に記録した映像というよりも、記録者一人ひとりの想いや言葉がいろいろな形で介入し、その場の状況が展開していくような(?)映像が多かったような気がします。
初日の24日には、小森はるかさん(映像作家)、建築家の佐藤研吾さん(建築家/歓藍社)、進行役に成瀬正憲さん(山伏/日知舎)をお招きしてのトークイベントがありました。
http://recorder311.smt.jp/information/57244/#after
小森さんの『根をほぐす』と、佐藤研吾さん(歓藍社)の『In-Field Studioの試み−大地からHumanityを組み立て直す−』は、どちらも自分たちの手で(技術で)場所を作り直すような営みを記録した映像ですが、これらの二つの映像作品について、「暮らしの行き先」」というテーマに引き寄せつつお話を伺いました。(ということで合っているのでしょうか)
この中で、私にとっては、「震災後に生活を立て直す際に用いられた技術」についての話が、震災というひとつの事象を超えても考えて行けるような、重要な視点を与えてくれたように感じました。
そこに住まう人々が、自在に小さい技術を用いて、もう一度自分たちの暮らしの場を作っていく段階が、わりと震災後の早い段階にはあり(小森さんの映像に映し出される「佐藤種屋さん」のような)、それが、かさ上げや防潮堤などの大きな工事が入る段階になると、人の手に負えないような(個人の意志で作り変えられないような?)大きい技術によって、暮らしの風景から多様性が失われていく(映像の中には入っていませんが、研吾さんのインドでの試みの中でもこれによく似た状況があったそうです)。このような状況は、これまでの復興の過程を振り返ると(私の少ない経験からですが)確かにあったような気がします。その違和感をなんとなく持ちつつも、それがどういうことなのかうまく考えられずにいたのですが、技術という視点からこうして言語化されたことで、改めてこれはとても大事なことだったのではないかと、気づかされたように思いました。
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Date: 03/01/2018 | Category: お知らせ|メモ|地域 | Name: Nozomi TANAKA / 田中望